住職!お葬式です!
ー遺骸に取りすがって泣く妻。息子に抱きかかえられて泣き崩れる奥さん。
あり得ない。私に限って。
他に誰がことを運べるでしょう?息子も娘も世間知らず。教会も小さくて、そも、牧師が死んでしまって一体誰が司式をするんだ!?
呆然と立ちつくすことさえ、許されません。
警察の事情聴取、そして病院は葬式をどうするかと訊いてくる。ことは無情に運ばれて行きます。
と、その時思い出しました。
携わっていた雑誌で取材した浄土宗の女性住職のこと。確か、出入りの業者は私の地元にありました。
勿論、牧師の知り合いもいました。ヤツはキリスト教界でも論客として少しは知られている存在でした。でも、ご多分に漏れず男社会で古い体質が抜けない宗教界。今までヤツの牧師仲間は女の私のことなどものの数にも入れてくれてませんでしたから、彼の牧師仲間に信頼できそうな先生は一人も思いつきませんでした。そして、自分の教会の仕事を投げ出して一部始終に付き合えるほど自由な牧師も一人もいなかったのです。それより、同じように男尊女卑的な宗教界で孤高の女性僧侶として、苦労しつつしたたかに生きてきた彼女の方が私には信頼できる存在でした。
夜中の3時に住職に電話をしました。住職はすぐに出てくれました。(さすがだ)
夫が亡くなったこと、葬式の手配をして欲しいこと、キリスト教式の密葬にすることを伝えたら、すぐに手配をしてくれました。
2時間もしない間に、彼女の右腕、”葬儀屋の荘ちゃん”は来てくれました。
事故で死んだ人間は一旦警察に運ばれるのだそうで。そこで検死を行なったあと、遺骸は自宅に帰されるのだそうで、荘ちゃんはヤツにつき合って出て行きました。
長い夜が明けようとしていました。長い苦難も始まろうとしていました。
近くの牧師より、遠くの坊主。