事故が私を解放してくれた?
とにかく眠らなければ。
一旦帰宅して寝ることにしたけれど、ベッドの上で寝ているのか起きているのか良く分からない状態で彷徨っていました。
ヤツが死んだ、と知らされたとき、私を解き放ってくれたのか?とも思いました。
後でそれはとんでもない勘違いだと知ることになるのですが。
会社はずっと傾きっ放しで、既に一年半以上も給料が支払われていませんでした。社員たちに頭を下げてリストラしてもらい、平社員は私ひとりになっていました。辞めたくても辞められなない。私が辞めたら会社は潰れてしまう。
正直言って、その頃の私は自分のことについて考えることを停止していたようです。
白々と明けて行く空。
ひと晩のうちに起きたことが頭の中を目まぐるしく浮かんでは消える。
本当に起きたことなのか、目覚めたら何事もなかったようにいつもの朝が来るような感覚。しかし、状況は違うのだと無情な声がする。
私は冷静でした。ある一瞬を除いて。
手渡されたヤツの携帯。最後のメール受信は「好きよ、ずっと」。
お恥ずかしながら数年前から何度も問題になっていたことでした。ヤツは呑み相手にこと欠くと誘惑に負けるようで、折々隠れて付き合う女性たちがいたようでした。別に堂々と言ってくれれば、それはそれで人の性として赦すつもりでしたが、発覚する(おバカなので何故かバレる)度に「愛しているのはマリちゃんだけ」と言って必死に赦しを乞うので一応、相手はストーカーの女性、ということになるのでしょうか。その女性からのメールでした。
ヤツの本心はもはや闇の中。
こともあろうにヤツはその彼女から金を借り、あの日、その金を返すために会っていたらしい。
金で男を釣る女も哀れ。そんな女の心を利用しなければならなかったヤツも哀れ。そして、ヤツが窮状を言い出せなくなるような状況を作った私も情けなくなりました。
夜が明けるのを待って女に電話しました。彼女がヤツを死の現場に送り届けたのかと思ったから。
しかし、電話の向こうの女は泣き叫ぶ。「知りません!私は早くに別れて電車で帰りました!」
その言葉に、私も取り乱してしまった。何を言ったか覚えていないが、感情をぶつけてしまったように思います。
何とでも言え。
いずれにしろ、あんたの慰みものだったあの男は私の掌にすっぽり収まっちまった。
あのメールを見た瞬間、私が純粋な未亡人にはなれない、ということも覚悟しなければなりませんでした。どんな顔をしていれば良いのかー。
もはや、綺麗に泣くことは許されない。ただただ、ヤツが自分で処理し切れず遺したみっともない汚物を全て引き受け尻拭いをしなければならない。そして、それができるのも私ひとりなのだ、と否応無しに認めざるを得なかったのです。
あの時、課せられた仕事の重責、夫の苦しみを見守る辛さ、つまらない愛憎劇からすっきり解放されたのかとも思いました。ある意味それは正しい感覚だったかも。しかし、本当の解放まではまだまだ二年を要するのでした。