底抜け脱線人生の歩き方

夫の突然の交通事故死。限定承認、会社の清算、失業、未払い賃金立替闘争、父の死、婿ウツ、etc. 底抜け脱線人生の顛末。

お別れ礼拝

本葬は「お別れ礼拝」と銘うって、私、小川家とヤツが牧していたオイコス・チャペルが主催して会社が協力する形で進めることにしました。

問題は「司式」。

通常、仏教なら僧侶がいないとお経が読めません。キリスト教の場合はそこまで聖職者に特化した儀式的制約はないのですが、集会と礼拝の違いと言えば、説教と祝祷くらいでしょうか。

どこかの教団に属していて、組織を保つためのルールの中にいたとしたら、司式者に牧師の資格があるかないかと言うことが問題になったことでしょう。

しかし、私たちは単立の教会で、言わば「なんでもあり」が許されるのです。勿論、聖書の教理に照らし合わせて外れないことが前提ですが。そも、組織運営のルールなど、聖書には書かれておりません。

 

一方、葬儀としては、前述した「弔辞」の問題がありました。ヤツが複数のビッグプロジェクトに関わっていたこと、牧師仲間達は私と関わりがなく信頼関係がなかったこと、本人が生前から師を持たぬ、と公言していたことからすると、仕事や牧会活動上の「上の方」にはお願いしにくくなっていました。頼むとするとひとりに絞れませんし。

 

それで、はい。

司会進行は教会のメンバーOさんに、そして弔辞を兼ねた説教は私がやる、と決めました。

 

本来なら、喪主である妻、というのは祭壇の隅で楚々と泣くれているものなのでしょう。でも、私にはそれは出来ませんでした。

ヤツが「どんな風に扱われたいか」を知る人間は私しかいなかったのですから。

 

方向が決まればさすがはイベント会社。ちゃっちゃと用意は整いました。

9月23日 日曜日。

早稲田奉仕園スコットホールにて、「お別れ礼拝」が行われました。

手際の良さが心にイタい…、我が社の「お葬式」。