雨。
生前、山奥に満開の桜を撮りに行けば大雪、セミナークルーズの企画を実施すれば台風、万博開会式にも雪が積もる。嵐を呼ぶ男、と呼ばれたヤツ。でも、そういう仕事はみな、大成功する、不思議な男でもありました。
例年になく暑い夏でした。記録的何とか、というのを何度聞いたか。いつまで経っても秋の気配が感じられない、そんな夏でした。
暑さ寒さも彼岸まで、なんて言うのですが、9月23日は朝から雨。そして、寒かったのです。
参列者がどの位になるのか、とかなり身構えておりました。入りきれない人が溢れると困るので敷地内の別のホールも借りようかと考えましたが、申し込まなくて良かった。
酷い雨のせい、ということにしておきましょう。
参列する人はことの他少なく、ホールをちょうど埋める程しか集まりませんでした。
韓国からこの礼拝のためだけに来てくれた古い信徒さんがいました。前に仕えていた教会でお世話させて頂いていた信徒さんたちが集まって、まるで同窓会。前の教会は解散していて、彼らも長い時間の中で散り散りになっていたのでした。
仕事で繋がっていた人々で私の名前を知っている人はほんの少し。そう言えば、ヤツの母親が亡くなったときは凄まじい人々が押し寄せ、当時の中田市長から弔電まで貰っていました。
では、当の本人が亡くなったというのに、なぜ人は弔いに来ないか。答えは簡単。喪主である私がずっと黒子であって、関係外の人物だったからです。彼らにとって私の存在は何の価値もなかったのです。
ヤツは私を決して表に出そうとしなかった。特に自分の名前が中心に出るような仕事では。
彼等には私は利益をもたらさない人間と映ったのでしょう。
実際この後も、ヤツからもらった人脈で繋がる仕事はほとんどありませんでした。
そういうわけで、ホールが人で溢れる、と思ったのはとんだ思い違いでした。
そんな、小さな告別の礼拝を激しい雨は包んでくれました。
教会のメンバーの一人が「雨は心を静かにさせるのよ。これは癒しの雨だわ」と言ってくれました。