底抜け脱線人生の歩き方

夫の突然の交通事故死。限定承認、会社の清算、失業、未払い賃金立替闘争、父の死、婿ウツ、etc. 底抜け脱線人生の顛末。

加害者Sさんのこと

そこには加害者Sさんも同席していました。

こういう時は、事故の示談ということでは、加害者の方も参列して誠意をみせなければならない、ということもあるようです。私は事前に連絡して、キリスト教式なのでうずっと場にいなければなりません、仏教式のようにそっと焼香して帰る、というわけにいきませんが大丈夫ですか?とお尋ねしましたが、構わないです伺います、とのことでした。

彼にしてもこれは突然の災難です。あの夜、Sさんはフィリピン人の奥様、二人のお子さん、そしてご自身のお母様と一緒に現場の交差点近くのトンカツ店で食事を済ませ、自宅への帰路についたところにでした。お盆のお休みの真ん中で道は閑散としていました。カーブのない一直線の幹線道路。信号が青に変わったのを遠くで確認しながら交差点に入ったところで男の影が目前に現れたー、そんな話です。

 

年をとった母親、遠い異国の地で夫が加害者になってしまったお嫁さん、目の前で父親が人を轢き殺すのを見てしまった子どもたち。

母親と嫁はずっと泣いています、と彼は言いました。そして参列した人々が口々にヤツとの思い出を語るのを聞いて、これは本当に大変なことをしてしまった、と思われたそうです。

お葬式がこんなキリスト教式で大丈夫ですか?ともう一度お尋ねしたら、私の母方の祖父は青山学院で牧師をしておりました、と仰る…。思わず鳥肌。これには天のオヤジ(神様のこと)が強く関与している、何か来るべくしてきた出来事のように思ったのです。

 

Sさんに言いました。私たちはあなたを恨みません。勿論、法の裁きという点では主張することがあっても、あなたに恨みを持つことはありませんから。

そう、お伝えしました。

 

その後長い時間が経って、送検されたSさんに司法は不起訴処分を言い渡しました。保障交渉の関係がから考えると、正直言って何らかの罪を認めて貰いたかったのですが、全てが終わった今ではこの処分で良かった、と心から思うのです。

それでなくてもSさんはこの経験を背負って人生を歩まなければならないのです。むしろ申し訳ない、と思います。

 

受けた重荷はそれぞれで担っていくしかないのです。私にはその重荷を軽くする資格も重くする権利も持ち合わせません。ただ、失われた命が与えた経験がそれぞれの歩みの中で価値あるものに変えられていくことだけが望みです。

 

神様の台本は不思議。どんな役が廻ってくるかわからない。