底抜け脱線人生の歩き方

夫の突然の交通事故死。限定承認、会社の清算、失業、未払い賃金立替闘争、父の死、婿ウツ、etc. 底抜け脱線人生の顛末。

前夜式の分ち合い

そう、前夜式は集まった人全員にヤツとの関係について話してもらいました。

仕事でつながった人、教会でつながった人、親戚、遺族…。

 

前夜式のお礼拝はいつも、毎日曜日に私たちオイコスチャペルが行なって来たように、食事と分かち合い(それぞれのスピーチ)、そして賛美とメッセージにすることにしました。

メッセージは、「タコツボ割られた私たち」というお話にすることにしました。

歌もね、歌わせてもらいました。

 

「分かち合い」というのは、そこにいた一人ひとりがヤツとの関係や心にあるエピソードなどを語るのです。その言葉の一つひとつがヤツをその場に蘇らせるようでした。

 

一組だけ、異分子がおりました。

私の姉夫婦でした。残念なことに私と姉は性格が合わないようで、姉妹としてはほとんど助け合う、ということがありませんでした。もっとも私には「神の家族」たる共同体がありますので、あまり親戚を頼るということがなかったんですね。

いわゆる「敬虔な」という枕詞がつく真面目な二人は、ヤツが牧師になった時も「認めない」という書簡を送りつけて来るような人たちでした。

他の人々がヤツとのことを面白おかしく語って、おりおり笑いが出ることが不謹慎だと思ったようです。ヤツの死因が酔っ払ってタクシーを車道の真ん中で降り、対向車に撥ねられた、というのも受け入れられなかったようです。

義兄は、ヤツのことを牧師として認められる死に方じゃない!と罵り、姉はヤツとの関係を「年賀状をやりとりするくらいで、考え方が違う」と言いながら、参列者に向かって、ここに泣き悲しんでいる人がいるのに不謹慎だ!と訴えるのです。

 

あー、ねーちゃん!ねーちゃん!分かった。最後の最後までヤツの存在を否定したいのは分かる。でも、ここではあなた達が「痛い人」と思われるだけなのよ。

 

そう、集まった彼ら以外の全員がこの凄まじい違和感に一瞬、押し黙ったのでした。その後、次にスピーカーは代わり、場は再びヤツのことを思い出し泣いたり笑ったりする時間となりました。後で何人かが私のところに来て言いました。「まりさん、今までタイヘンだったのね。あのお姉さんじゃねぇ…」。はい。それでも血縁です。死ぬまで付き合わなくちゃいかんのです。

 

次の日、告別式に参列してくれた姪(姉の長女)に、(周りの人に思いっきり引かれて)お母さんは大丈夫だった?と訊ねたら、「(言いたいことを)言ってやったわ!、と言ってたよ」という返事が。どうやら武勇伝になっていたそうです。やれやれ。

さすがに私の姉。ゴーイング、ゴーイング、強引ぐねーちゃん。