告別礼拝
ひと夜が明けました。
まだ全ては夢の中の出来事のようでした。
告別式もまた、ノープログラム。何てったって牧師の葬式だし。他の牧師に頼んでも良かったけれど、誰ひとり彼のことを深く知る牧師はいませんでした。
じゃ、かくなる上は本人に語ってもらいましょう、ということにしました。
私は数年前から牧師のメッセージを録音していました。最初はブログにUPするためだったんですが…。
2012年の春、それはどん底の春でした。
2009年に華々しく開催された横浜市のY150は収益不調に終わり、市長以下責任者が会期途中で逃げる、という惨憺たる有様でした。その責任の擦り付け合いに巻き込まれ、以降、予定していた博覧会系のプロジェクトを全て失い、苦しんでいる最中に大震災がやってきたのです。
むしろ、震災からの復興景気に乗れるだろうと必死に動き回っても、芽が出ると大きな組織に持ち去られてしまい、働くだけ傷つくのでした。
結局、頼りになるのはノミニケーションだけ。それでも労ってくれる友はいても助けてくれる人はいなかったようです。
あの春、へべれけで戻ってきた朝、ヤツを座らせ懇々と説教をしたことがありました。ヤツの弱さは痛いほど分かる。私はそれを受け入れているつもりだけど、ヤツの立場を考えるとどうしても厳しいことを言わざるを得ないのでした。
仕事に芽が出ず、酒に溺れ、明けた朝には自分より若い嫁に正論を振りかざされ、叱られる…。思えば、本当に可哀想なことをしたと思います。
あの年のイースターは4月8日だったと思います。あの日曜日の朝、階下からドタバタと上がってきたヤツが「マリちゃん、復活だ!」と叫んだのを覚えています。
何がどうなったのかは良く分かりません。ただ、神はヤツに復活を宣言されたのです。
確かにあのイースターから、仕事が回り始めました。
告別式でみなさんに聞いて頂いたのはその次の週に語られた「復活は復活を必要としている人にやってくる」というお話でした。
そう。もし復活のイエスがその力を世界に鼓舞したければ、当時のローマ皇帝やユダヤ教の指導者達のところに現れれば良かったはずです。しかし、イエスはそんな人々のところには現れなかった。イエスは数にならないとされる女達や貧しい身分の弟子たちのところに現れたのです。それは彼らが「復活」を必要としているからなのです。
ヤツにも復活は必要でした。そして、その4ヶ月後の私たちにも「復活」は必要不可欠なものとなりました。