子どもたち。
ヤツが突然いなくなって、さぞかし…、のはずですが、
不幸中の幸いと言うか、子どもたちは既に成人しそれぞれ学業も終え、(勉強が嫌いだったらしい)といっても、助けになるほどしっかりもせず、というところ。
おねーちゃんは既におかーさん。19の年で突然いなくなり専門学校の先輩と同棲を始め、二年後にはできちゃった婚してしまいました。おとーさんがどれほど傷ついたか、今だに分かっているのか…、でも、生活が苦しくなるとにゃんにゃんと親を頼り、金は貪るわ、職場を提供させるわ、まー、マゴを人質にとり、やりたい放題した挙句、3.11以後放射線線量を気にして、大阪のダンナの実家に逃げておりました。
ワガママ生活の報酬は婿ウツ。引きこもって何も出来ないダンナを抱えて自立した生活出来なくなったことも移住の理由でした。
ドラちゃん(息子)は当時二十歳。中学三年の秋から突然引きこもり、やいのやいの言って入った工業高校にはひと月しか通えず、一学年末に引きこもり専門の高校に転校させ、なんだかんだとなだめすかして卒業してもらったものの社会に出る勇気がなく、調理師学校に潜り込み、調理師免許は取ったが、飲食業界の厳しさについて行けず…、どうするのかと思いきや、ゲームのデバッカーの仕事を拾ってきて、家族の反対を押し切って業界入り。
以来、かなり優秀な戦力として受け入れられているらしい。予想外の展開でした。
ま、フリーターなので、まだまだですが。
ヤツが亡くなった時、仕事を始めてまた三ヶ月しか経っていませんでした。前に高校に通えなくなったきっかけは祖母が亡くなり忌引したことでした。
ですから、また、気力をなくすのでは?と心配したのですが、それは徒労に終わりました。とても良い仲間たちと仕事をしているようです。
ある日、ドラちゃんがしみじみ言いました。
「おかん、ある意味この時期に親父が亡くなって良かったのかも知れないよ。」
何をいいだすんや。われは⁈
「だって、あのおとんやったら、この先どれだけ頑張ってもあれだけの借金を返せなかったやろ。あと10年生きとったらもっと酷いことになってたかもしれん。そのときにはもう、おかんは年とってとしもうて、どうにもならんかったんとちゃうやろか。」
まー、お前のゆーてることは、ほぼ真実やな。
と、思わす頷く。
「でも、おかん、すごいな。姉貴は駆け落ち婚、おれは引きこもり、おとんは酔っ払ってクルマと喧嘩して逝っちまって、凄い人生だなぁ。」
あのなぁー、誰のせいでこんな目にあっとるんやっ!ええ加減にせんかい!
…まあ、きっと、天国のヤツも似たようなことを言ってるんでしょ。もう!知らんわ。