飛び込んでくる人々
はなから小さく弔うつもりでおりました。しかし、世間に知られてしまうと、会社の関係者の間では大混乱になったようです。
会社でも幹部ではなかった私は一人で他の人とば違うプロジェクトを任されていたこともあって、普通の社員以下の存在でした。たまに新規プロジェクトのブレストに顔を出すと他の社員に「なんでマリさんが来てるの?」と言われることもしばしばでした。ただ、社長の奥さんであることは周知の事実ですから追い出されることはないし、私だけが社長に意見できる、という不思議な立場でもありました。
その日、慌てて集まった元社員たちもまとめ役のM取締役もいつものように私の存在を無視したようです。
バカなんだよね、連中は。喪主は「私」。彼らがどんなに大騒ぎしても何もできないのに。
彼らは事務所であーする、こーするーと話し合っていたようです。いつものように私に尋ねることをしない。
そこに、一本電話を入れて言いました。
葬儀は密葬じゃ!追って沙汰するので、あらゆる問い合わせに関して、後日連絡する、と伝えよ。
私がヤツの総代としての身分を明らかにした瞬間でした。
事務所にはいろいろと問い合わせはあったようですが、自宅は静かでした。
夕方、三軒ほど先に住んでいた建築家のSさん夫妻が花を持って飛び込んで来られました。その花はお世辞にも整ったものとは言えず、いかにも自宅にあったものを取り急ぎ掴んで来られた、という風情でした。
Sさん夫妻はカトリック信者。私たちプロテスタントの、それも形式を持たない群れでは流儀も会葬のルールもなく、荘ちゃんが祭壇に置いてくれたロウソクに火を灯すという発想もなく、(というかオンボロ木造住宅は防火上の心配があり、さらに真夏の夜に火を灯すというのは憚られた)そのままにしてあったのですが、Sさんの奥さんがごく自然にそばにあったライターで火を灯して、二人で拝礼して下さいました。
おいおい泣きながらヤツに語りかけ、祈ってくださるご主人。
そして、ガンガンかけているクーラーの風に煽られて、いびつにロウを飛ばしながらものすごい速さで減っていくロウソク。息子のドラちゃんと私は斜めに吹き飛ばされる炎とロウにハラハラ。
ありがたくもなんともユーモラスな光景。なんだろう、この柔らかな温かな時間。
夜になって、またひと夫婦、飛び込んできました。
夕飯を食べながらたまたま見ていたテレビのニュースで知ったらしい。もう15年くらい会っていないNさんご夫婦。前に仕えていた教会で良くしてくださった方々でした。ご主人はいつも親切にして下さって、折々、ワーカーホリックだった私たちをさそって、BBQやスキーに連れて行って下さいました。
でも、教会を独立させ、自宅をこの長津田に移した頃から疎遠になってしまいました。ご主人は泣きながら、ヤツが愛・地球博やY150の仕事で華々しく活躍するのを見て、自分のことなど気にかけてくれるはずもない、と距離を取ってしまったのだと話すのです。でも、自分の職場で(ご主人は市バスの運転手でした)ヤツのことが話題に出るとオレの知り合いだぞ、と誇らしく自慢していたのだと。
ヤツが大きな仕事に押しつぶされて、晩年がどんなに悲惨だったか、少し話しました。ご主人は涙を流しながら、そうだったのか、一緒に吞んであげたら良かった、と涙にくれるのでした。
私の意に添わず、ことが公になってしまって、それで良かったのかな?と思う夜でした。